身内に不幸があり、間が空いてしまいました。
亡くなったのは私の祖母です。
88歳でした。天寿を全うして安らかに旅立ったおばあちゃんを見送るお葬式は悲壮な感じにはなりませんが、やはり私たち遺族は悲しくて、淋しくて。
だけど、最初に訃報を聞いたとき。
私の頭は悲しみより先にたくさんの段取りに埋め尽くされました。
- お通夜と告別式で、仕事を休まなくては。どうまわそう?
- 夫の身内にも連絡しなくては
- こどもたち、学校を休まなくては。先生に連絡しなきゃ
- こどもたちの喪服、サイズアウトしてる! 楽天ならすぐ届く? 靴は? 上着は?
- 現金を用意しなきゃ。お香典、いくら包もう。お香典袋、なかったかも。私は孫だからお花を出すかも。身内で相談しなきゃ
そしてさまざまなところに連絡しまくり、親戚とラインしまくり、ネットで一通り必要なものを注文し、できる仕事を徹夜して前倒し…。私がおばあちゃんを思って泣けたのは訃報を聞いてから1日たった夜でした。段取りが全部終わった後、夜中ベッドの中でやっと涙がでました。
一方タクミさんは、訃報を聞いて第一声に「悲しいね。一番さくらをかわいがってくれたおばあちゃんだろう? お義父さんもつらいだろう」と言ってくれました。仕事のこともお金のことも喪服のことも一言もいわずに。
ASD夫の感覚はとてもシンプル。「おばあちゃんが亡くなった、それはとても悲しいことだ」。お葬式に関わることで発生するはずのさまざまな段取りがそもそも思い浮かばないだけですが、でもタクミさんのこのまっすぐな気持ちに私はとても救われました。
ああ、この人の心はキレイだな。
私はすぐ段取りに追われて、大切な思いをあとまわしにしてしまうけど、タクミさんがいてくれるからニュートラルの位置に戻ることができる。この人は私の良心だな。
私はタクミさんのお母さんじゃないんだ!ってよく思うけれど、そう、私はタクミさんのお母さんじゃないんだから彼を1人前に育てる必要はないんだ。
タクミさんと私はずっと一緒にいるんだから、彼の足りないところは私がフォローしつづければいい。そして、私の至らないところはきっとタクミさんが埋めてくれる。